2012年12月22日土曜日

wikibooks「Everyday Lojban ロジバン日常会話 初級/01」ロベルトとニック、その2

B: .iacu'i .i mi co'u se cinri
A: .e'o ko vecnu lo karce mi .i mu'i bo lo za'i do ponse ra cu na'e cinri


 .iacu'i 

 .ia
(心態詞)事実的根拠が十分でない状態でそれを認める気持ち 。「信じる」
cu'i
心態詞の段階を表し、「逆までは行かないが、それではない」

前文の「karce .a'u(いい車だ。)」を受けて、
「悪い車とは思わないが良いとも思えない。」
「そうは思わない。」


.i mi co'u se cinri

co'u
時間的な相を表す単語で、その述語が中断して終わることを表す。

cinri
x1(事)はx2の関心を惹く; x2はx1に関心がある
se cinri
selci'i
x1(人)はx2(事)に関心がある

「私は関心を持つことを中断した。」
「もう興味がない。」

何に興味がないのかは言っていないが、文脈から「lo mi karce(私の車)」であることは自明である。つまり、
mi co'u se cinri lo mi karce
とも言える。


.e'o ko vecnu lo karce mi

e'o
命令文について、丁寧を表す。英語の「please」、エスペラントの「bonvole」にあたる。

vecnu
x1(者)はx2(品/サービス)をx3(者)にx4(価格/費用)で売る; x3はx2を買う
ここではkoがx1なので、「車を私に売る売主であれ。」
「車を私に売れ。」

ちなみに、
la robert. vecnu ko mi
ロベルトの私に対する売り物であれ。
ロベルトから私に売られなさい。
la robert. vecnu lo karce ko
ロベルトが車を売る、買い取り手であれ。
ロベルトから車を買いなさい。

「どうか車を私に売ってください。」


.i mu'i bo lo za'i do ponse ra cu na'e cinri

mu'i bo
接続詞的に「以下の文を動機として」

za'i
(抽象子nuの仲間)という状態

ponse
x1はx2をx3(法/慣習)のもと所有する

ra
ri/ra/ruシリーズ
riは直前のsumtiを表す。
raは少し離れたsumti、ruは離れたsumtiを指す。
ただし、ra, ruは離れ具合が曖昧なため、意味が曖昧になる。
ここではraはlo karce(車)

na'e
否定の一種。該当selbri以外の関係であることを表す。
na'e cinri
x1はx2の興味を引き起こす以外の関係。
確かに興味を引き起こさないが、他に何らかの関係がある。

cuがあるので、この文の述語は、na'e cinri
x1は
lo za'i do ponse ra
あなたがそれ(車)を所有する状態

「あなたがそれを所有する状態が興味を引き起こさせる以外の関係であることを動機として。」
「あなたがそれを持っていることが興味を引き起こさないなら。」

2012年12月16日日曜日

wikibooks「Everyday Lojban ロジバン日常会話 初級/01」ロベルトとニック、その1

A: coi .robert.
B: coi .nik.
A: xu ti selpo'e do gi'e karce
B: na go'i .i lo mi karce cu va zvati
A: lo xunre xu
B: .ie
A: karce .a'u
xu ti selpo'e do gi'e karce

ponse
x1はx2をx3(法/慣習)のもと所有する
se ponse
selpo'e
x1はx2にx3(法/慣習)のもと所有される
「sel」は、sumtiの場所を転換するma'ovla「se」のrafsiである。
要するに、述語の変数項を転換する助詞の「se」の合成語形ということである。
これを「ponse」の合成語形(rafsi)である「po'e」と合成し、「selpo'e」とすることで、
「ponse」のx1とx2を転換する。

gi'e
かつ(英語のand、エスペラントのkaj)
この文の場合、前者と後者が共に真のときに、返事はgo'iとなる。
どちらか一方、あるいはどちらも偽のときは、返事はna go'iとなる。

karce
x1はx2(客/荷)・x3(原動力)の車

文の構造としては、

xu
ti selpo'e do
gi'e
ti karce
(2つのtiは同一)

真か偽か?
これはあなたに所有され、
かつ
これは車である。

つまり、
「これははあなたの車ですか?」

ただし、
xu ti du lo do karce
これはあなたの車と同一ですか?
これはあなたの車ですか?
du
「同一である。」を表し、機能語(ma'ovla)であるが、述語(selbri)になれる。
英語のbe動詞、エスペラントのesti。
この表現のほうが自然。

また、
xu lo vi karce cu selpo'e do
とすれば、「この車はあなたのですか?」となり、原文に近い。


na go'i .i lo mi karce cu va zvati
いいえ。私の車はあっちにある。

zvati
x1(物/事)がx2(事/所)に居る/在る
vaはx2ではない。vaはzvatiにかかり、zvatiしているのがそこそこ遠いことを表す。
空間の距離を表すのにはvi(近) va(中) vu(遠)を使う。
時制のpu(過去) ca(現在)ba(未来)と同じように使える。
つまり、vi va vuをselbriにかけて、その述語の発生源や状態の距離を表す方法や、
vi va vuのあとにsumtiをおいて、そのsumtiからの距離を表現する方法がある。
前者は
mi vi gunka
後者は
viku mi gunka
ともに「私はここで働く。」である。
後者について、
vi mi gunka
とすると、viのあとにくるsumtiはviのものなので、「私のところで(誰かが)働く。」となる。
この注意点は時制と同じである。
mi pu gunka
puku mi gunka
私は働いた。
pu mi gunka
私の前に(誰かが)働いた。
pu句やvi句の中身がないなら、終端子kuですぐに閉じる必要がある。


lo xunre xu

xunre
x1は赤色/クリムゾン
lo xunreは赤いという形容詞ではない。
赤いx1そのもの。つまり赤いものという名詞である。
赤であるx1そのものですか?
赤いものですか?


.ie
心態詞。それに賛同する気持ちを表す。
go'iでも良いが、それは単に真である事実を表し、気持ちは込められていない。


karce .a'u

a'u
心態詞。それに好奇心を覚えて惹きつけられる気持ちを表す。

車に引きつけられている気持ち。
(話者の気持ちとして)いい車だ。

karceはselbriである。x1が省略され、「(何がかは言わないが)車だ!」という意味である。
それに、話者の気持ち「良い」が付加されている。省略されたx1は文脈で判断され、この場合、Bの車を指すはずである。

「良い」はxamguだが、これは
x1はx2にとって、x3(基準)で良い/好ましい
である。
lo karce xamgu mi
その車は私にとって良い。

wikibooksのロジバンの使い方2

wikibooksにはもうひとつ使える教材がある。

Everyday Lojban ロジバン日常会話 初級/01
である。
簡単な会話文が3つ収録されている。
しかし、解説がないので、当ブログで可能な限り解説していく。

2011年8月9日火曜日

復習の例文002

A: coi miktan.
B: coi
A: xu do pu sanga
B: na go'i .i mi pu citka le sluni
A: do nelci lenu citka le sluni
B: ba lenu mi citka kei do klama le mi zdani

sanga: x1はx2(音楽)をx3(聴衆)に歌う/詠唱する
citka: x1はx2を食べる
sluni: x1はx2(種類)のネギ属(ネギ/タマネギ/シャロット)
nelci: x1はx2(物/事)を好む/好き/気に入っている

「.i」はロジバンで文同士を分かつために使われます。文末のピリオドが発声されるバージョンだと思ってください。

3行目、「歌ってたの?」
4行目、「いいえ。ネギを食べてた。」
5行目、「ネギ食べるの好きだね。」
6行目、「食べた後にあなたが私の家に来た。」

wikibooksノート009第6章その2・時制2

ba lenu mi citka le rismi kei mi pinxe le tcati
私は米を食べた後、茶を飲む。
citka: x1はx2を食べる
rismi: x1はx2(種類)のイネ科植物(米)
pinxe: x1はx2(液体)をx3(容器/起源)から飲む
tcati: x1はx2(葉/原料)の茶/紅茶/緑茶

{ba le(nu mi citka le rismi kei)} mi pinxe le tcati
baの後にはsumtiが入る。baによって、「(le以降のsumti)の後」を表す。
また、nu句を終端子keiで閉じている。

ba le rismi ku mi pinxe le tcati
米の後に私は茶を飲む。
sumtiのle rismiを終端子kuで閉じている。
le rismiを誰がどうするのかは言っていない。文脈で決まる。

baku mi pinxe le tcati
後で私は茶を飲む。
baの後、終端子kuですぐ閉じて、sumtiを省略している。
「ba mi pinxe le tcati」は「私の後、(誰かが)茶を飲む」という意味。baの後はsumtiが来る。

mi ba pinxe le tcati
私は茶を飲むだろう。
baはselbriのpinxeにかかり、未来時制を表す。