2012年12月23日日曜日

数詞を覚える時の注意

数詞を覚えるときは、ひたすら
pa re ci vo mu xa ze bi so no
と唱えるしかない。 しかし、実はそれだけでは不十分である。
数詞は2字であるが、その形態素形(rafsi)は3字である。
以下の通り:

non 0
pav 1
rel 2
cib 3
von 4
mum 5
xav 6
zel 7
biv 8
soz 9

これを覚えたほうが良い。
合成語に使える。

wikibooks「Everyday Lojban ロジバン日常会話 初級/01」ロベルトとニック、その3

B: vecnu fo loi rupnu po'o be li paki'oki'o
A: xu tolyfadni jdika va'u lo pendo


vecnu fo loi rupnu po'o be li paki'oki'o

vecnuのx4は価格/費用なので、x4を表すfo以下は車の値段を表す。

loi
loが個別の「本当にそうであるもの」に対し、loiは一群の「本当にそうであるもの」
例えば、
lo karce
(本当に)車(であるもの)
loi karce
一群の(本当に)車(であるもの)
である。ただし、
mi vecnu loi karce
私は一群の車を売る
について、一群の車のうち一部であっても構わない。全てである必要はない。

rupnu
x1はx2(数量)の、x3(通貨体系)の上位単位/円/ドル/ユーロ

po'o
(心態詞)たったの、〜だけ

be
項同士を結ぶ。 後の項が前の項のx2であることを表す。
loi rupnu be li paki'oki'o
百万という数量のお金の上位単位
100万円/ドル/ユーロ
項同士を結ぶ単語には他に
pe
があるが、これは何らかの関係があることのみを表し、x1なのかx2なのかなどを明示しない。

li paki'oki'o
liは数を表す語につく冠詞。
1,000,000

この文ではx1は省略されており、誰が売るのかは明示されていないが、B氏であることは明らか。

「たった100万円で売る。」


xu tolyfadni jdika va'u lo pendo

tolyfadni

to'e fadni
の合成語である。
to'eの形態素形(rafsi)がtolであり、正反対を表す。
fadni
x1はx2(性質)・x3(集合)において平凡/通常/普通

tolyfadni
平凡の反対
特別

jdika
x1はx2(性質)に関してx3(数量)ほど減る

va'u
~(良い何か)を享受して

pendo
x1(者)はx2(者)の友人; x1はx2にたいして友好的

tolyfadni jdika
x1はx2(性質)に関してx3(数量)ほど特別的に減る
重語(tanru)である。jdikaをtolyfadniが修飾している。これがこの文の述語(selbri)である。

「友人を享受して特別減りますか?」
x1が省略されており、何が減るのかは言っていないが、
loi rupnu be li paki'oki'o(100万円)であることは明らか。

「友情特別割引は?」

2012年12月22日土曜日

wikibooks「Everyday Lojban ロジバン日常会話 初級/01」ロベルトとニック、その2

B: .iacu'i .i mi co'u se cinri
A: .e'o ko vecnu lo karce mi .i mu'i bo lo za'i do ponse ra cu na'e cinri


 .iacu'i 

 .ia
(心態詞)事実的根拠が十分でない状態でそれを認める気持ち 。「信じる」
cu'i
心態詞の段階を表し、「逆までは行かないが、それではない」

前文の「karce .a'u(いい車だ。)」を受けて、
「悪い車とは思わないが良いとも思えない。」
「そうは思わない。」


.i mi co'u se cinri

co'u
時間的な相を表す単語で、その述語が中断して終わることを表す。

cinri
x1(事)はx2の関心を惹く; x2はx1に関心がある
se cinri
selci'i
x1(人)はx2(事)に関心がある

「私は関心を持つことを中断した。」
「もう興味がない。」

何に興味がないのかは言っていないが、文脈から「lo mi karce(私の車)」であることは自明である。つまり、
mi co'u se cinri lo mi karce
とも言える。


.e'o ko vecnu lo karce mi

e'o
命令文について、丁寧を表す。英語の「please」、エスペラントの「bonvole」にあたる。

vecnu
x1(者)はx2(品/サービス)をx3(者)にx4(価格/費用)で売る; x3はx2を買う
ここではkoがx1なので、「車を私に売る売主であれ。」
「車を私に売れ。」

ちなみに、
la robert. vecnu ko mi
ロベルトの私に対する売り物であれ。
ロベルトから私に売られなさい。
la robert. vecnu lo karce ko
ロベルトが車を売る、買い取り手であれ。
ロベルトから車を買いなさい。

「どうか車を私に売ってください。」


.i mu'i bo lo za'i do ponse ra cu na'e cinri

mu'i bo
接続詞的に「以下の文を動機として」

za'i
(抽象子nuの仲間)という状態

ponse
x1はx2をx3(法/慣習)のもと所有する

ra
ri/ra/ruシリーズ
riは直前のsumtiを表す。
raは少し離れたsumti、ruは離れたsumtiを指す。
ただし、ra, ruは離れ具合が曖昧なため、意味が曖昧になる。
ここではraはlo karce(車)

na'e
否定の一種。該当selbri以外の関係であることを表す。
na'e cinri
x1はx2の興味を引き起こす以外の関係。
確かに興味を引き起こさないが、他に何らかの関係がある。

cuがあるので、この文の述語は、na'e cinri
x1は
lo za'i do ponse ra
あなたがそれ(車)を所有する状態

「あなたがそれを所有する状態が興味を引き起こさせる以外の関係であることを動機として。」
「あなたがそれを持っていることが興味を引き起こさないなら。」

2012年12月16日日曜日

wikibooks「Everyday Lojban ロジバン日常会話 初級/01」ロベルトとニック、その1

A: coi .robert.
B: coi .nik.
A: xu ti selpo'e do gi'e karce
B: na go'i .i lo mi karce cu va zvati
A: lo xunre xu
B: .ie
A: karce .a'u
xu ti selpo'e do gi'e karce

ponse
x1はx2をx3(法/慣習)のもと所有する
se ponse
selpo'e
x1はx2にx3(法/慣習)のもと所有される
「sel」は、sumtiの場所を転換するma'ovla「se」のrafsiである。
要するに、述語の変数項を転換する助詞の「se」の合成語形ということである。
これを「ponse」の合成語形(rafsi)である「po'e」と合成し、「selpo'e」とすることで、
「ponse」のx1とx2を転換する。

gi'e
かつ(英語のand、エスペラントのkaj)
この文の場合、前者と後者が共に真のときに、返事はgo'iとなる。
どちらか一方、あるいはどちらも偽のときは、返事はna go'iとなる。

karce
x1はx2(客/荷)・x3(原動力)の車

文の構造としては、

xu
ti selpo'e do
gi'e
ti karce
(2つのtiは同一)

真か偽か?
これはあなたに所有され、
かつ
これは車である。

つまり、
「これははあなたの車ですか?」

ただし、
xu ti du lo do karce
これはあなたの車と同一ですか?
これはあなたの車ですか?
du
「同一である。」を表し、機能語(ma'ovla)であるが、述語(selbri)になれる。
英語のbe動詞、エスペラントのesti。
この表現のほうが自然。

また、
xu lo vi karce cu selpo'e do
とすれば、「この車はあなたのですか?」となり、原文に近い。


na go'i .i lo mi karce cu va zvati
いいえ。私の車はあっちにある。

zvati
x1(物/事)がx2(事/所)に居る/在る
vaはx2ではない。vaはzvatiにかかり、zvatiしているのがそこそこ遠いことを表す。
空間の距離を表すのにはvi(近) va(中) vu(遠)を使う。
時制のpu(過去) ca(現在)ba(未来)と同じように使える。
つまり、vi va vuをselbriにかけて、その述語の発生源や状態の距離を表す方法や、
vi va vuのあとにsumtiをおいて、そのsumtiからの距離を表現する方法がある。
前者は
mi vi gunka
後者は
viku mi gunka
ともに「私はここで働く。」である。
後者について、
vi mi gunka
とすると、viのあとにくるsumtiはviのものなので、「私のところで(誰かが)働く。」となる。
この注意点は時制と同じである。
mi pu gunka
puku mi gunka
私は働いた。
pu mi gunka
私の前に(誰かが)働いた。
pu句やvi句の中身がないなら、終端子kuですぐに閉じる必要がある。


lo xunre xu

xunre
x1は赤色/クリムゾン
lo xunreは赤いという形容詞ではない。
赤いx1そのもの。つまり赤いものという名詞である。
赤であるx1そのものですか?
赤いものですか?


.ie
心態詞。それに賛同する気持ちを表す。
go'iでも良いが、それは単に真である事実を表し、気持ちは込められていない。


karce .a'u

a'u
心態詞。それに好奇心を覚えて惹きつけられる気持ちを表す。

車に引きつけられている気持ち。
(話者の気持ちとして)いい車だ。

karceはselbriである。x1が省略され、「(何がかは言わないが)車だ!」という意味である。
それに、話者の気持ち「良い」が付加されている。省略されたx1は文脈で判断され、この場合、Bの車を指すはずである。

「良い」はxamguだが、これは
x1はx2にとって、x3(基準)で良い/好ましい
である。
lo karce xamgu mi
その車は私にとって良い。

wikibooksのロジバンの使い方2

wikibooksにはもうひとつ使える教材がある。

Everyday Lojban ロジバン日常会話 初級/01
である。
簡単な会話文が3つ収録されている。
しかし、解説がないので、当ブログで可能な限り解説していく。