2011年7月30日土曜日

ロジバンにおける文の作り方

文の中核をなす単語をselbriという。日本語では動詞、形容動詞のようなものである。

gismu,brivlaは語法を内包している。つまり、gismu,brivlaは適切な変数項を置くことによって、それはselbriとなり、文ができる。変数項をsumtiという。例えば、「satre」は撫でるという意味のgismuである。これをselbriとして、文を作るとする。「la .mikin. la .maikon. satre」(la .mikin.は人名ミキ、la .maikon.も人名マイコ)
この文は「ミキがマイコを撫でる。」という意味になる。ここで、「la .mikin.」は変数項その1(x1)である。「la .maikon.」は変数項その2(x2)である。つまり、この二つはsumtiである。

「satre」には「x1はx2を撫でる」という文構造が内包されている。「x1 x2 satre」としてもよいし、「x1 satre x2」としてもよい。ただし、「x2 satre x1」とすると、x2がx1を撫でるとなり、意味が変わる。では倒置はできないかというと、そうではない。x1にはx1であることを表すma'ovla「fa」を、x2にはx2であることを表すma'ovla「fe」を前につける。だから、「la .mikin. la .maikon. satre」つまり「ミキがマイコを撫でる。」は以下のように言い換えられる:
「fe la .maikon. satre fa la .mikin.」

なお、すべてのgismuはx1を持つ。そして、gismuには常にx1が先行しなければならない。例えば、「la .mikin. satre」は「satre la .mikin.」であってはならない。前者は「ミキが撫でる」となるが、後者は「ミキを撫でる」となる。後者はx1が省略されたものと見なされる。

ロジバンの文法

用語が聞きなれないのでなかなか慣れるのは難しい。しかし、一旦覚えてしまえばたいしたことはない。
まず、前提として、ロジバンでは日本語で言う自立語がすべて用言であるということである。
例えば、「言語」という単語はロジバンでは「bangu」である。
しかし、日本語と違い、既に修飾語の種類が想定されていて、
「x1はx2(使用者)がx3(概念/命題/文字列)を表すのに用いる言語」という意味が内包されている。
例えば、「日本語 日本人 考え bangu」は「日本語は日本人が考えを表すのに用いる言語」という文になる。
単に「bangu」といった場合それは「言語」という意味である。
自立語の原型は文であるといえる。



ロジバンで使われる言葉は主に3類。brivla (bridi valsi)、ma'ovla (cmavo valsi)、cmevla (cmene valsi) である。
ざっくり説明すると、brivlaは自立語、ma'ovlaは機能語、cmevlaは固有名詞である。

brivla
子音で始まり、一つ以上の連続子音を含み、母音で終わる。
brivlaは合成語を含む。基本単位として、gismuがある。gismuは五文字からなる。前述の「bangu」はgismuである。もちろんそれは、brivlaである。gismuはbrivlaの部分集合である。gismuを組み合わせた単語をlujvoといいこれもbrivlaである。もっと複雑なfu'ivlaもあるが、ここでは説明しない。

ma'ovla
子音あるいは母音で始まり、連続子音を含まず、母音で終わる。
2~3文字の単語。日本語の助詞、接続詞などのようなもの。「mi」(私)などは主語や述語になる。

cmevla
子音あるいは母音で始まり、子音で終わる。
固有名詞など、ロジバン固有でない単語が該当する。

語の基本はgismuである。この用法を習得すれば、造語法により、自由に言葉を作り理解し、理解させることができる。多く見積もって gismu は約1350個あります。実用的なのはだいたい1200個ぐらいでしょう。

ロジバンの発音

ロジバンは発音に主眼を置いて設計されている。故に公式の文字は存在しない。ただし、ラテンアルファベットの使用が主流である。発音が不可能であったり、聞き分けができなくなるような文字の並びが存在しないという特徴がある。詳しい発音は
http://ja.wikibooks.org/wiki/ロジバン/音韻論
を参照されたい。
以下のような並びは存在しない:
同じ子音によるもの: pp, bb, ff, vv, cc, jj, ss, zz, tt, dd, kk, gg, xx 等
同系統の子音(有声/無声の面以外で特徴が一致する子音)によるもの: pb, bp, fv, vf, cj, jc, sz, zs, td, dt, kg, gk 等

ロジバンのあらまし

ロジバンは単語に語法が内包している。
エスペラントは単語と語法をそれぞれ覚える必要がある。
一方、ロジバンは単語は常に語法とセットである。語法を覚えないとその単語を理解した事にはならない。
つまり、エスペラントでは2段階あることを一発で決めるのである。
だから、エスペラントは入門がやさしく中級から上級に上がるのが非常に難しいにもかかわらず、
ロジバンは入門こそ難解極まりないが、そこを越えれば一気に上級である。(と希望的に観測する。)

エスペラントではveni(来る)という動詞に対して着地点にalという前置詞をつけることは既に決まったことである。
これは他の前置詞では置き換えられず、veniに内包されていないにもかかわらず、着地点を表すとき、必ずalをとる。
一方ロジバンでは同じ意味のklamaについて、着地点は二番目にくる項と決められている。つまり、前置詞を既に内包しているのである。klamaの語法を覚えておけば、余計な前置詞を覚える必要はなくなる。エスペランティストのために述べると、倒置は可能である。その場合、二番目の項であることを表すfeを前につければよい。このfeはエスペラントのalのように決まった意味を持たず、ただ、2番目の項であることのみを表す。

なぜエスペラントがあるのにわざわざロジバンを?

エスペラントには多くの利点がある。楽しいコミュニティー、入門しやすさ、エスペランティストの親切さ。
だから、エスペラントをやっていると人生を豊にする。つまり、他人とのネットワークが築けるということである。
一方ロジバンは世界で登録されているだけでも2000人、うちレギュラーは20人という人口的に仲間内の言語の範疇を出たものではない。つまり、ロジバン自身の魅力以外は何もない。
だから私はエスペラントに両足突っ込んで楽しむつもりだ。しかし、腹の中にはロジバンを置いておく。
エスペラントが50年以内に成功する可能性はあるだろうか?
また、ロジバンが50年以内にエスペラントのライバル程度まで追いつく可能性はあるだろうか?
私はどちらもないと思う。しかし、ロジバンの学習には終わりが見える。エスペラントマスターには永遠になれないが、ロジバンマスターにはいつかなれる気がする。どうせやるならマスターになれる方をやるだろう?
しかし優柔不断な私は、エスペラントぬるま湯からも出て行かない。

エスペラントとロジバンの主観的比較

エスペラントは入門が極めて簡単である。
はじめようと思えばその日の昼休みにはじめて、帰路の電車に揺られながら読み進めると、家につくころには「Mi amas vin.」くらいの文なら文法的に説明できるようになる。次の日には簡単な挨拶をすべて覚え、
3日目には簡単な自己紹介ができるようになる。実はこれがエスペラントの罠なのだ。簡単簡単と思っているうちに、あっという間に初級は終わる。そして中級へ。ところがここに壁がある。ちょっと小難しい論説文を読もうと思う、あるいはそれを書いてみようと思う。しかし、おそらく大半の人が何度も辞書を引き、苦戦するのではないだろうか?慣用句でもないのに単語は分かるが意味が分からない。え!この単語、基本の2400語に入ってないから知らない。この動詞にはどの前置詞が付くんだっけ?この前置詞の後には動詞の不定形おいていいんだっけ?
文法は16ヶ条だった。確かに。しかし、語法は語の数だけある。
文法を習い、単語を覚え、語法を覚える。この段階を追うが故に、エスペラントは初めは簡単だが、ちょっと行くと山が待っている。

一方ロジバンは言語の構造の専門用語が多すぎて、辟易してしまう。入門が尋常じゃなく難しい。以下は入門講座の一節である。
子音で始まり、一つ以上の連続子音を含み、母音で終わる、それが brivla の形です。最も短いのは5字からなる gismu です。 gismu を幾つか組み合わせて一つにしたものが lujvo です。 gismu や lujvo をさらに他言語の言葉と組み合わせて出来るのが fu'ivla です。いずれも、頭が子音で、内に連続子音を含み、尻が母音、つまり brivla としての形態を有します。どんな ma'ovla が先行するかによって主部にも述部にもなります。(Wikibooksより)
何言ってるか分かりません。この入門を理解できたとしても、ロジバンは一言も喋ることはできない。
具体的な単語を使った例がなかなか出てこない。抽象概念は具体的な事物より覚えにくいのですぐ忘れてしまう。

ところが、もしあなたがWikibooksの難解な入門講座を理解したならば、その先には非常に明瞭な物が見えてくるだろう。そして、いよいよ、エスペラントより簡単な方法で、エスペラントより正確な表現が作文できるようになるだろう。

「エスペラントが楽しい」か「エスペラントで楽しい」か

エスペラントのコミュニティーは非常に魅力的である。
パスポルタ・セルヴォを使えば世界中を旅行できる。
エスペランティストは基本的に親切なので、海外のエスペラントの集まりに行くときも、現地のエスペランティストは空港の出口から面倒を見てくれたりもする。
同母語話者は学習でも色々助けてくれる。
なにより、そうしてできた友達は何にも代えがたいものである。

しかし、そのコミュニティーを使うまでの学習がなかなか骨である。

一般に言われているのは、エスペラントの学習が容易であるということだ。
文法は16ヶ条であり、ちょっと詳しく説明してもA4紙数枚に収まるくらいである。
不規則変化は0である。
インターネット上には無料の学習サイトや無料辞書まであり、書籍も充実している。
特に2006年に出たエスペラント日本語辞典は一つの項目を熟読すれば、その単語の語法をマスターできる。
単語も重要な物は2400語根程度。後はきっと専門用語と詩作のための特殊用語。
わずかな文法と2400の単語を抑えれば、エスペラントで自由に書いたり話したりできる。

ここまでやれば、大会に参加していろんな人に声をかけ大会の雰囲気を楽しむくらいならできる。
しかし、込み入った話はまだできない。

実はエスペラント日本語辞典によれば、見出し語数は4万以上ある。
上述の2400語はあくまで最低ラインであり、一般的によく使われるが重要度の低い単語が結構ある。
エスペラントができた最初のころの話では単語は合成語を造ることでいろいろな概念を表せるということだった。
しかし、後になって、徐々に外来語がほぼそのまま入ってくるようになった。
例えばhobioは趣味だが、既に合成語ŝatokupoがある。
にもかかわらず現在ではhobioを使う方が圧倒的に多い(私の雀の涙ほどの経験上)。
さらに悪いことにはこの外来語は大体欧米語の単語から取り入れられている。
もともとラテン語などのヨーロッパ言語が多数語根に取り入れられているのだが、
語彙は最低限にして合成語で何とかしようという崇高な考えが、歴史とともに忘れ去られてしまったようだ。

ともかく、相手の知っている単語はすべて知らないと意味は分からない。こちらは相手が知っているであろう易しめな単語で発言してみたりする。こっちは基本単語2400で全概念表せる能力を持っていても、相手がその単語を逸脱したら、もう分からない。

この様に、エスペラントは学び出したらキリがない。辞書のすべてを丸暗記できるまで学習が終わることはない。生涯学習といえば聞こえはいいが、言語の場合、使えるのが前提でそこからさらにその言語で生産的活動ができてこそ、意味を持つ。つまり、学習はいつか終わり、マスターとして自由に考え、議論し、願わくば仕事しなければならない。生涯学びつづけたらそれで楽しむ前に死んでしまう。

「エスペラントが楽しい」か「エスペラントで楽しい」か。
前者は語学好きが趣味としてエスペラントそのものを楽しんでいる様子である。一方後者はエスペラントをほぼマスターして、自らの思想の吐露、科学論文・ビジネス文書の作成、さらには同時通訳などを実践しエスペラントを利用して楽しんでいる様子である。
後者を羨みつつ未だ前者にとどまる者のかく多いことか。私も今のところその一人。